桜花賞/レビュー
(1999年4月15日提供) | [index]| [log] | [next] | [back] |
結論から言うと、プリモディーネの単勝だけが何とかなってスティンガーとの大本線だった08−14(90%)がダメになってしまったのだから、かなり残念だった桜花賞。
ただ去年のファレノプシスの単勝的中と同じように、負けないで次に夢をつなげられたのだから皐月賞は期待していて下さい。
途中途中は、福永祐一・プリモディーネ勝って下さいねのサインに気がつくばかりだった。
以下に、フサイチエアデールに対するサインも含めて4つ掲げておく。
(1) 田原成貴調教師初出走初勝利▽土曜日の阪神第1R桜花賞4勝騎手の田原の仕事なのだから、当然桜花賞へのサイン。 そしてこういう場合は、1着の相手に連れてきた2着・3着が連動するケースが多い。 今回は、内側の14番がプリモディーネ福永に、外側の17番がフサイチエアデール武豊につながる。 |
(2) 日曜日の10万円馬券の意味▽日曜日の阪神第3R(単勝・枠連・馬連トリプル万馬券、かつ馬連10万馬券)実はこの目は、 ・土曜日の最終レース3つのうち、中京の最終レースの万馬券を一発で持ってきて、中京をセレクトしたことを意味するだったから、中京絡みでこの落馬を解釈しなければいけなかった。 そうすると、ズバリ、この落馬の形態は福永洋一の毎日杯の落馬と全く同じ。 ▽福永洋一落馬の毎日杯故障発症落馬した馬に触れて唯一の牝馬のマリージョイ福永洋が落馬をしてその後の苦難の道がスタートしたのだから、それと全く同じ落馬の形態をして、ただし逆に10万円馬券を作ったのがマリージョーイと同じ唯一の牝馬だった以上、今度は逆に福永の復活と読むのは当然の話。 しかも福永洋と同じ落馬をとったのが競馬学校の神様・藤田というのが凄い。 ・96年福永がデビューした週、福永は中日新聞杯の7枠右13番オグリワン福永として置かれた。と読めるのだから、もう、14番の単勝は前日の90%がこの時点で確信に変わる。 |
(3) 二本柳荘の落馬→翌日の初勝利 前日のミモザ賞の1枠1番で落馬した二本柳荘(二本柳俊一氏の息子だから、名門二本柳グループの御曹司)が、翌日の第2レースでJRA初勝利。 関西と関東が場を逆転させている以上、関東の日曜日の第2レースは関西の土曜日の第2レースとイコールだし、第2レースというレースナンバーは関西の福永が土曜日に初騎乗初勝利をしたレースナンバーなのだから、これは、 ・土曜日のミモザ賞の落馬は福永洋の落馬の代理と読むことが出来る。 従って、関東で二世騎手の落馬→二世騎手の復活をやった以上、それは福永がお目出たいことをプレーすることの予告に他ならない。 |
(4) 中京降着騎手の武英智の初勝利 福永と言えば、デビュー時の中京競馬で負担重量違反をやったならば、お父さんの福永洋も全く同じことをやっていて、 ▽昭和44年京都競馬7R/つつじ賞このデータの馬番一発がその年のイシノサンデーとロイヤルタッチの皐月賞につながった以降は、中京の新人騎手の違反モノはGIレースの一発のサインになるケースがある。 ならば、前の中京開催で1着降着処分を受けた武英智の初勝利は桜花賞へのサイン。 ▽日曜中京第8R/武英智の初勝利結局枠連7−8が一発。 |
JRAサークル総意の下での「福永洋一さんごめんなさい、福永祐一君おめでとう」の劇だったと理解して構わないだろう。
あとは、サイン会議(インターネット版)の桜花賞時のログを来年のために保存しておくことにした。
保存は好ましくないので消去してもらいたいという方はメール下さい。
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